このコーナーは「ごはんだいすきの日記」より抜粋して加筆修正したものを掲載しています。


6月10日(日)  簿記の試験とおばあちゃん

おばあちゃんが先日から病院に入院しているというのだ。父方ではなく、母方のおばあちゃんだ。なんと今年92歳。

母は10人兄弟の末っ子で、僕も生まれてからしばらくこのおばあちゃんが今でも住んでいる田舎に住んだことがある。ほんの一ヶ月ほどのことだけれど。

田舎というのは実家からくるまで1時間半ほどでいける距離的にはさほどでもないのだが、実際にはいかにも日本の田舎という雰囲気がついこの前まで生きていたところだ。僕がまだ子供の頃は、かやぶき屋根の家が祖母の家につくまでにも何件か見られたし、山に囲まれた盆地にあるので山並みがまるで迫ってくるようで、秋に行けば金色の稲穂が風に吹かれてたてる音が心地よかった。

田舎に行ったときの楽しみといえば、よく駄菓子屋で見つけられるようなプラスティックの透明な大きな入れ物(串に刺さったイカの乾燥したようなものがたくさん入っていたりするやつだ)を竿の先にひもでくくりつけ、容器のそこを工夫して穴を空け、中に米粒を入れた。それを川の浅瀬につけて1時間ほどたってから見に行くと、小さな川魚が何匹も入っていた。そんな当たり前の風景や遊びが、すでに懐かしい出来事に鳴り始めだした僕らの子供の頃にでもリアルなものとして残っている場所だった。

おばあちゃんは着物の端切れを使って手作りの人形を作っては娘や孫が遊びに来るたびにやっていた。起用に人形の草履や髪の毛もつけたものだったが、人形の目や口もとはマジックで書き込んでいるのが妙だった。

70か80になるころから習字やゲートボールも始めていた。結構活発な人だった。一緒に住んでいる孫の赤いオープンカーの助手席に座って田舎道を走っている姿は、僕はじっさいにはみたことがないけれど母の兄弟の間ではたまに集まるとでてくる話題だった。

前に僕がおばあちゃんに会ったのは今年の3月のことだ。僕は仕事で2年間転勤していた石川県から4月に大阪へ帰ってくることになっていた。帰ってすぐに結婚することに決めていた。はじめは僕も彼女もするつもりはなかった結納だったが、彼女とうちの両親の間で連絡し合ううちに話が進み、4月に入ってすぐの休日に彼女の家で結納をすることにした。

用意の品はそういう業者に頼んでいたが、結納の時にはその目録を載せて渡すお盆が必要だと分かった。盆と言っても普段使っているようなものではなくて、わかりやすいところで言えば小学校の卒業式で卒業証書を載せているような横長で黒の漆で塗られていてものによってはその家の家紋が入れられていたりするようなものだ。

うちの家紋のものをわざわざ用意するのも時間的にも難しかったし何処かから借りてくるかという段になって、母の実家とうちの家紋が同じものだったのを思い出して田舎へ連絡したのだ。確か持っていたはずだったと。電話してみればいつでもとりに来いとのこと。僕が休みを見計らって車に乗り一人で田舎へ出かけた。

おばあちゃんに会うのは4年ぶりほどのことだった。以前に訪れたときには僕はまだ車の免許を取ったばかりで、とにかく何処かへ車に乗って出かけたいという思いばかりがあった。それでそこそこ遠く、高速道路が気持ちよく、道もだいたい分かっているため試運転にはちょうど良い田舎へ出かけたのが確か最後だったと思う。

僕が顔を見せたとき、おばあちゃんは独りだった。最初は目が悪いために誰だか分からなかったようだが、すぐに思い出してくれた。座ったままであまり動け無いながら、あれこれと食べるものを出してくれたりした。お茶は台所へ僕が注ぎに行った。

思ってみればこうやっておばあちゃんと二人だけで話をするのは初めてだったかもしれない。4月に転勤から帰って二人で住むこと。結納をするときに使う盆を借りに来たこと。結納する日の番に届けを役場へだしに行くつもりであることなど。「そうか。ほぉー。そうか。」と聞いていた。

おばさんに聞けば、たまに同じ事を何回も聞くようなときもあるけれど僕が訪れたときには調子がよかったそうだ。 今日は病院へ彼女と二人で訪れた。本当は7月におばあちゃんにも式に出席してほしかったが、呼吸が最近になって苦しいようだった。食べ物も口からは食べられず点滴でだ。

僕らが病院に着いたのはちょうど昼の12時だった。病院の給食を運ぶ台を引っ張っていく看護士がリノリウムの真っ白な廊下をゆくのが見えた。

受付で祖母の名前を告げるとB棟の2階だと教えてくれた。そのエリアは2メートル四方ほどの個室だった。古い病院だが白くペンキで塗られた各個室の入り口につけられた木でできた窓も好感が持てた。そこから祖母が寝息を立てて胸を大きく上下させて眠っているのが見えた。

僕らはせっかく眠っているのを起こすのも悪いと思ったから少し時間をおいて自販機でパックのジュースを飲みながら時間をつぶすことにした。10分か15分ほどして先ほどの病室に戻ったがやはり祖母は眠っていた。

小さく声をかけてみた。白いパイプでできた病院特有のベッドの枠に手のひらをかけていた。その手にそっと触れてまたおばあちゃんと話しかけたら、ただ目をつむっていただけのようにすぐに目を開けた。

僕の顔を見てはすぐに誰か分からなかったようだけれど、名前や母の名前を言うとすぐにわかった。ちょうど昨日は母と父がここを訪れて祖母と話をしていたのだ。そのことももちろんしっかりと覚えていた。

僕は彼女を紹介した。7月に式を挙げること。おばあちゃんにも来てほしかったが残念だということ。それに、式でとった写真をまた来月もって、その時には昨日はこれなかった僕の妹も連れてくると言うことをはなした。 息をするのが苦しそうなのによく話をしてくれた。あまり長く居ても疲れないかとそればかり思っていたが、それでも祖母がいろいろ僕や彼女に聞いてくるので結局30分ほどはそこにいて話をしていた。

今日これて良かった。そのうちそのうちと思っていてもなかなか祖母のところへ彼女を連れて会いに行けなかった。入院と言ってもとくに容態が悪くなったからと言うわけでもなかった。もちろん食事をできないことと息がしづらいと言うことは大変だが、見たところ体調は良いようだった。もちろん92歳という年を考えてのことだけれど。 ともかく僕らは長く話をして帰ってきた。

彼女と僕がこんなに急いで移動したのも、夕方の5時からその式の会場で打ち合わせをする約束をしていたからだった。

 
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