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このコーナーは「ごはんだいすきの日記」より抜粋して加筆修正したものを掲載しています。


4月27日(土)

長崎という場所 その人が生まれ育った町だとか県に対する思いだとか感じ方というのは、気がつかなくても、特に意識していなくてもその人の一部として染み付くものではないかと思う。それはその人を取り囲むひとつの枠組みだ。

自分のことでいうなら、僕は兵庫県に生まれて23歳でそこを離れて仕事をするまで縦に長く日本海と太平洋にまたがった海と山に挟まった庭で育った。だから自分が育った場所、育った県をふと頭で創造すると大きな四角形が浮かんでくる。

実際に県内を北から南まで歩いたわけでなくても、大きな枠組みとしてのそれは意識する、しないにかかわらず自分の中にある。 真剣に日本の地図を眺めたのは小学校の社会の時間に都道府県のテストがある前の昼休み以来かもしれない。

僕は日本語学科の中国人へお土産に持ってきた日本地図を広げて一つ一つのどの県がいったいどこにあるのかをもう一度覚えていった。 テストのときはこんなにたくさんある県の名前と場所をどうやって覚えればいいのか検討もつかなかったけれど、今やってみると意外なくらいすんなりと頭の中にイメージできた。

特に卒業してから地理に興味を持ったわけでも改めて注意したわけでもなかったけれど、普通に生活する中で知らず知らずに耳にする地名が、自然と一種のイメージを作り出して、県の名前とその町のイメージ、そして日本のどの辺りにあるのかという感覚が、長い時間をかけてつながってきたのだと思う。

僕は沖縄から始めて徐々に県の名前をたどり、京都から北へ上って北陸3県までは難なく覚えることができた。中部と関東は自分にとっては少し難しい。東北はまた易しくなる。地図を眺め、まだいったことのない場所を創造するのも悪くない。

話は戻る。県というのはその人を取り囲むひとつの枠組み。地図をなが見ていてはじめて気がついたことだけれど、長崎県というのはほかの県と違って実に小さな島が集まって県を構成しているすべてが地続きというわけに行かない。僕らが県内の旅行をしようというときに抱くイメージと、長崎で生まれ育った人たちが抱くそれとは違うのか、それとも特に違いはないのか。

そんなことを考えていると一度長崎へ行ってみたくなった。

 
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