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このコーナーは「ごはんだいすきの日記」より抜粋して加筆修正したものを掲載しています。


1月8日(火)

前職には98年に入社して2001年の9月に退社した。つまり3年半だ。

特にその間の2年間、北陸の事務所で仕事をした経験は自分にとっていろんな意味で大きな財産になったと思う。大きな会社では分業されてなかなかさせてもらえない様ないろいろな仕事を経験できた。本部にそのままいたのではきっとこういう経験は出来なかったと思う。

指導者にも恵まれたし環境も良かった。自分で考えてそれを現場で検証して、それに対してきちんと意見を返してもらえた。現場のアルバイト、特に自分が立ち上げた店の子たちは弟や妹のように可愛かったし自分の考え方に協力して実践してくれた。パートさんたちは自分の母親のような年代でも自分を慕ってくれたし面倒も見てくれた。事業部が持つ店舗の売上はPOSであがってくると一喜一憂したし、指導者は自分にそういう分析を任せてくれた。

リーダークラスの資料を作るのにも手伝わせてもらえた。 リーダーの考え方や発想にはいつも関心させられた。彼がこういう数字でこうやれば分析できるはずだと教えてくれれば、彼はパソコンをあまり使えなかったから、自分がそれを形にした。そういうのがいつも面白かったし作っているうちに知らず知らず(不知不覚)そういうノウハウを自分も吸収していた。今考えてみるとそれこそ生の経営学だと思う。

そういう分析をするには事業部は大きすぎず小さすぎず、ちょうど良かった。あまり大きければ上がってくる数字は現実味がもてなかったかも知れない。これは本部へ戻ってきたときに何千店もの資料を見たときの感想でもある。僕が扱っていた数字からはほとんどの店舗の姿や店長やそこで働いているアルバイトの顔さえも見えてきそうだった。(実際結構知っていた) 興味というのは不思議なもので、自分の知らないところになると急に失われるものだ。知らない店舗の名前と売上を見ても「へー」としかなかなか思えない。

また興味というのはたいしたものでやってみたいと思った資料作りもパソコンにかじりついて何日か事業部に泊まったりもした。用事が無くても会社が転勤のために用意してくれたマンションの部屋へ帰るのが面倒なときには近くのレンタル・ビデオ店で映画を借りてきて会社のソファーに寝転がって見ていたこともあった。

そうやって仕事も充実していたしやって見たいことのリストもどんどん長くなったけれどもそれを試してみるには時間が24時間では足りなかった。自分なりの貢献は出来たと思う。それまでとにかく手作業だった直営店の月次資料や給与計算や売上の累積分析は機械化させた。大学時代に使っていたexcelが妙に役に立った。最初はどうもなじんでくれなかった店長達も便利さを分かって使ってくれるようになったし、最初はずいぶん毎回尋ねられたがそれも減ってきた。

機械を使うようになってそれまで数字を出すためだけに使っていた時間がずいぶん減らせた。経営者の仕事は数字を出すことではなくそれを分析することに集中するべきだと思う。仕事は自分で見つけたというよりも、状況がどんどん新しい仕事を生んでいった。

ポスターやPOPもずいぶん作った。これも収穫だ。最初はずいぶんセンスが悪いとけなされたけれど、帰るころにはみんなが欲しいものをすぐにびっくり綺麗に作れるようになった。

立地調査は面白かった。建設予定地を地図を頼りにめぐっていき、交通量、人口統計、立地条件などを足を使って調べてレポートにまとめる。地方事業部の新店出店に関しては現地の事業部に任されていた。本部にはそれ専門の部署があるから他の部署ならばまず手を出せない仕事だ。これがまた面白かった。自分の書いたレポートが思いがけないところから本部に流れていて、それが逆輸入されて来たこともあって驚いた。

もう一つあちこち動き回ったから車の運転がずいぶん上手くなった。学生時代に始まったばかりのオートマ限定免許をとってずいぶん変わり者呼ばわりされたけれども、雪国でオートマ解除を受けなおしてスノータイヤを履いたスピーカー付きの営業車でドリフトもスイスイだ。

それにしても得意分野というのはそれぞれあるもので、ある店長はP/Aの扱いが非常に上手かったし、ある人は月末月初の処理をさせたらなぜこんなに手際が良いのかと思うくらいだった。

社長が北陸の事務所へ来たときの勉強会で自分に尋ねた問いを今でも覚えている。「君はどうして北陸に来たのだとおもう?君の仕事の目的は?」と。確かそのとき、さまざまな経験をして見につけることだと思うと答えた。でもこれは目的ではなかった。私、つまり営利を目的とした会社という団体の社員が働く目的とは、ずばり(利益)を上げることである。これを聞いて以来目的と手段という言葉の違いを意識しながら物事を考えるようになった。目的意識とそれを達成するための手段についてだ。

これは生活に関しても言えることだ。自分の一生を通しての目的はなんだろうと。自分なりにその目的はおぼろげながら分かっているつもりだ。その手段として今自分は勉強をしている。

 
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