【2002年1月】

1月31日(木)  在宅
パソコン直った万歳最近ずっと出歩いていたので久しぶりに家にいることにします。
ホームページもノートを修理に出していたのでずいぶん長い間ほとんどいじらずにいました。ここでちょっといろいろいじってみます。

インターネットにつないだら韓国へ帰った李くんからメッセンジャーへの登録がありました。上手くいったら彼とチャットも出来るかも!

ユンシンからもメールが来てました。なんでメールくれないの?って書いてあったけれど、ごめん。中国のトランクにアドレス書いた紙を忘れてきていたのです。でもこれからバシバシ書くからね。ホームページも更新再開します。

さて、横の写真。Che-esMOVIで撮ったもの。これまでのとは比べ物にならないくらい綺麗な50万画素!! どうだ参ったか!

1月30日(水)  田舎のおばあちゃんを送って、パルに新入荷
今日は田舎のおばあちゃんが病院を退院します。田舎でちょうど今車に乗れる僕の従兄弟が仕事で遠くへ行っていたのでおばあちゃんを家まで送ってきてあげました。

2週間ずっとベッドに横になっていたので、久しぶりに立ち上がったら自分の足じゃないみたいだと言ってます。でも息が続かないのは仕方ないにしてもかなり元気になって、何より話す言葉がしっかりしてます。

さて、家の母上は喫茶店でパートさんをしているのだけれど(ここ、以前結婚パーティー友人バージョンをしたところ)ここは漫画ルームというのがあって、お昼過ぎには仕事の合間のホット一息しているサラリーマンの皆様が連日くつろいでらっしゃいます。
ただ、しばらく新しいのを追加していなかったので、店に無いのをチェックしてBOOK OFFへ行って来ました。予算は3000円。というわけで今回のお買い物は・・・
「金田一少年の事件簿」「ああ女神様」・・ん?後一種類なんだっけ??

1月28日(月)  田舎のおばあちゃんに会いに
母と叔母さん3人で田舎のおばあちゃんのお見舞いに行きました。顔色も良くてあさって退院できることになりました。

1月26日(土)  日本橋へ
再び。マコの彼女のチーベーを車で拾って日本橋の電気街へ。
ついに念願のチーズMOVIを買ってしまいました。中国へもって行く予定。前よりずっと綺麗に写る超小型デジカメです。

1月25日(金)  まことぴぐ
今日から奥様は会社の人たちとスキーなので、家でごろごろしていても仕方ないし、中学の頃からの友達、まこちゃんとピグくんに声をかけて久しぶりに夜遊びしました。甲子園の実家に連れて行って夜中の3時過ぎまで飲んだり食ったり。

1月13日(日)  船の上から
船の中です。
寮を出るときにパソコンの充電をしていなかったので使えないかと思っていたのだけれど、船の部屋には220Vの電源があったので使うことが出来た。
というわけでただいまガンチン号のベッドの中で日記を書いています。
もうそろそろ鹿児島の沿岸を通っている頃でしょう。さっき島が見えました。あと何時間かすると種子島が見えてくるそうです。
僕が持っていたチケットは2等なのですが、チケットを買うときに一番やすいやつ(往復学生料金で1755元)を買ったので、てっきり床に布団を引く8人部屋の2等和室というやつだと思っていたら、8人部屋ではありますがベッド付きの2等洋室でした。これが1等になると、4人部屋になって部屋の中にテーブルと小さなソファーがついているようです。
大学1年生のときに兵庫県が主催する洋上大学でパシフィックビーナスに乗って1ヶ月海の上にいたとき過ごしたのは4人部屋でソファーがありましたのでおそらくそういう部屋なのかな?
さて、今回8人部屋とは言っても部屋には4人だけ。2段ベッドが4つあるのですが、上のベッドは空いてます。日本人と中国人を意識的に部屋分けしているのか、この部屋は僕を含めて4人とも日本人です。
以前誰かが船に乗って中国を移動したときはとても清潔とはいえなかったといってましたが、国際線となるとちょっと違うようで、とても快適です。シーツも清潔だしベッドにはカーテンやライトもついているし、室内にはテレビもあります。
日本に近づいているのにまだ中国語の放送をしているところを見ると衛星放送のようです。現在2日目の日本時間で2時ですが、持参したラジオにはまだ日本の放送局の電波は入ってきていません。



1月12日(土)  船に乗って帰ります。  (^^)v 最高
今日、船に乗って神戸へ帰ります。まる2日間の長旅です。

 今日で寮は引き払うことにしました。大きなトランクはリエちゃんヤッチャンの素敵な新居へ預けました。じゃまだけどご免ね。お礼に欲しい日本のものなんでも買って帰るからメールください。

 もうすぐ寮を出て行こうという頃にリャン・シンシも部屋に会いに来てくれました。

 今日限りで退寮なので退銭もしてもらいました。入寮のときに鍵の保証金として800元預けていたからです。電気代も今日までの分を清算します。28元でした。ずいぶん安いなと思っていたら小娘が駆けてきて、対不起!我錯了 と言ってました。今度は90元それにプラスして払ったのですがこれはどうも多いのです。

 寮の建物を出て学内を歩いているところで、チケットやパスポートなど大事なものを入れたポーチを持っていないのに気がつきました。あわてて引き返すと部屋の机の上に置き忘れていました。危ない危ない。
 引き返したときにさっきの小娘がまた駆けて来ました。我又錯了! 結局最初ので合っていたようで、90元返してくれました。ラッキーというべきでしょう。

 リーと井上さん、吉原君が船着場まで送ってきてくれました。朝ひっそりと出て行こうと思っていたのだけれど嬉しいことです。リー君は今学期で中国を後にして、また来学期戻ってこれるかは未定なので、これがお別れになりました。夏、授業が終わったときに彼のふるさと、韓国ソウルを妻と新婚旅行第一弾をかねて訪れようと思っています。
船着場は国際フェリーの発着に使われている割にはとっても簡単なつくりです。この中に税関があって空港と同じように検査を受けますが、飛行機とは比べ物にならないくらい簡単でした。ほとんどノーチェックと言っていいくらいです。
建物を出て船まではマイクロバスが送ってくれます。税関を過ぎるとそこは中国ではないはずなのに、なぜかそこに3人が・・・。すごく簡単な柵をくぐってさらにバスのところまで見送りに着てくれました。ガードのおじさんも寛大です。(笑)
海の上から上海の港を後にしました。東方明珠がこれほど大きく全体を眺められる場所はやはり海の上でしょう。だんだん小さくなっていくテレビ塔を眺めながらデッキに立って中国にしばらくの別れを告げます。

1月11日(金)  卒業式。トランクへ荷物を詰め込んでます。  (^^)v 最高
凝った演出満載の式でした。今日は第1学期の卒業式です。
朝10時から教学楼201号室の階段教室でささやかな式典が行われました。こうやって一人一人表彰されます。
ドラえもんのネクタイを締めていきました。
なんとめでたくクラス別第2位をもらえました。やった!

お昼は学年みんなで四川北路の入り口にあるホテルでヴィッフェでした。味はいまいち。聞いたところによると一人費用は100元なのだそうです。高すぎ!留学生楼のお店の方が安くておいしい!
表彰なんかされたの始めてでは?4時に弁公室で写真と成績表をもらいました。今学期で帰国する学生には修了証書も配られました。この修了書は結構カッコいいです。

5時半に集合して6時から日本人会、今学期最後のお疲れ様晩会です。野村さんお疲れ様でした。料理とってもおいしかったです。ちなみにスープはすっぽんでした。びっくり。何時まで店にいられるかちゃんとリサーチしているところはさすが。今学期で日本へ帰る老同学は特に住所やE-MAILの交換をしながらみんな盛り上がって話はつきません。

帰りにヤッチャンや姫と一緒にウマハシ君のお宅を拝見しに行きました。ちょうどいい感じの広さで自分で敷いた絨毯がなんとも居心地がいいです。すっかり長いしてしまいました。

一緒に上海財経大学で勉強してきた皆さん。今学期はお疲れ様でした。日本へ今回帰国するみなさん。中国での経験を生かして日本で活躍されることを願ってます。また今度は日本、韓国、それともまた中国のどこかで集まってチンタオビールを飲みましょう。
終業式は入賞が発表されるたびに歓声があがって大盛り上がり! 記念撮影です。

1月9日(水)  公安へ 昨日の続き
今日は聴力と写作(作文)のテスト。あんなもんだろう。
試験が終わってからその足で公安へ行ってきた。先日出しておいたリターンビザを取りに行くためだ。やすこさんとまりこさんが申請に来ていたところで偶然会った。帰りにCD屋で COCO LeeのVCDを探していたらそこへリーが通りがかって一緒にタクシーで帰ってきた。

今日買ったのはCOCO LeeとABBAのなつかしの映像とテレサテン東京公演のVCDだ。最後のは父へのお土産。ABBAは思った以上に良かった。

ももちゃん ユンシンとご飯へいってくる。

昨日の続き。
P/Aをやる気にさせるためにこんな方法はどうだろう?という給料体系
一般的にパート・アルバイトの時給は一定の期間、例えば働き始めてから何ヶ月目だとか通算勤労時間が何時間に達したらとかいう条件をつけてあげられていく。ある場合は最初の一ヶ月程度は試用期間などを定めて低い時給をつける場合もある。
自分の能力に対して時給が上昇することでアルバイト本人の働く意識を刺激することが目的だ。雇用者にしてみればアルバイトの能力が向上しその分能率が上がっているならば給与を上げてもペイする。ところが現実問題として能力と効率は逓減する。入店当時には身に着ける仕事一つ一つが効率の上昇に直結する。その後一人前になるまで効率は上がっていくだろうが一定の能力を身につけた後、さらにその能力と効率があがることは難しい。その様子をグラフに表せば最初はその角度が急だが徐々になだらかなカーブを描き最終的には増加は0に近くなる。一方で働く意識を刺激することを給与のアップの目的であるとすれば、一定の期間を経た後少しなりとも給与を増加させる必要が出てくる。短期ならばさほど問題は無いがP/Aのモチベーションを高く保つには給与の上昇という手以外の要素が重要になってくる。この問題をアルバイトのレベルによってAクルー・Bクルーなどクラス分けし、次のクラスに移るために一定の条件を満たすなど給与階層とその能力が連動する枠をつける方法はマクドナルド等のファーストフードでよく採用されている。
それに対してこういう方法はどうだろう。当然一つの店舗の中には入店したばかりのビギナーからすでに何年も働いているベテランもいる。彼らの時給を例えば700円均一とし、その後も上昇はしない。これでは時給を上げる目的であるやる気の刺激も能力に応じた報酬でもないように見える。からくりはその後だ。仮にこの店舗が一般的な給与形態をとっていた場合に平均時給が800円だったとしよう。ここでは分かりやすく考えるために時給700円の初心者アルバイトが5人、自由900円のベテランアルバイトが5人の店舗であると仮定する。ここでは簡単にするために休日・夜間手当てなどは省いて考える。実際には夜10時以降の労働には時給の25%手当をつける決まりがある。全員が一月に同じ時間入店していた場合平均時給は800円となる。仮に全員が月に100時間ずつ入店していたとすれば、その月の人件費は80万円になる。同じ計算で先ほどの時給を700円均一にした場合、人件費は単純に計算して70万円である。つまり二つのケースでは人件費に月間10万円の差が生まれる。時給800円のケースが売上と利益に対して適正な人件費だとすれば700円のケースでは10万円が適正に支払われていないことになる。そこで、この余った部分を一定期間プールして再配分するのだ。名目はボーナスである。1月・4月・7月・10月の年4回、つまり3ヶ月に一度プールされた30万円を振り分ける。平均3万円のボーナスとなる。ただしこれはあくまで平均である。ボーナスのボリュームを決めるパラメータは次のとおりだ。
A群{「勤続年数」「作業能力」「貢献度」「接客態度」「勤務時間の融通性」「その他付随の能力」} ・ 「3ヶ月の勤務時間」
この支給方法はいくつかの狙いがある。1つは3ヶ月ごとに支給されるボーナスによって勤続した長さのみによってむやみに給与が上がらない点。勤続年数をボーナスに考慮しながら実際の店への貢献度、能率に即した給与配分が出来る。
2つ目は3ヶ月ごとの評価を給与に盛り込める点。つまり給与は時間とともに上がり続けるものでなく自分の努力により獲得するものであることを意識付けられる。その為にも評価する内容を明確にして、本人へ伝えるべきである。この際先ほどのパラメータの設定が公平性を保つ鍵になる。
3つ目に3ヶ月ごとに一人一人と面談する機会を作れることである。評価出来る点は何なのか、何が足りないのか、次に期待するのは能力なのかを明確に示せる。
全体としてこの方法のメリットは人件費のむやみな上昇を防ぎながらモチベーションを高める機会を作れる点だ。加えて人件費を固定費ではなく変動費化できる。つまりその3ヶ月の業績に応じてボーナス全体のボリュームを決められるからだ。
他にメリットを挙げれば、給与を1円単位で調整できる点等。また、3ヶ月は一般的にアルバイトが仕事を覚えある程度の作業をこなせるようになるのにほぼ対応した期間と言える。仮に入店後まもなくやめた場合にはボーナスの支出が減る。
この考え方は月刊誌「飲食店経営」で以前に見たものだ。手元にもともとの資料が無いため、説明の足りない部分や自分で付け足した部分もあると思うが面白い考え方だ。ただし、こういう給与体系が課税などの点で制度上可能なのかどうかは分からない。しかし、考えてみればサラリーマンの給与にしても年2・3回と分けられているだけで同じことだ。加えれば退職金に対しても毎月の積み立て(プール)と言えなくも無い。
近年退職金を従来どおりにもらうか、退職金を減額またはなくす代わりに毎月の給与に加える制度も企業によっては実施され始めている。年功序列、終身雇用という考え方がこれからも続く保障がなく、会社自体の継続すらも絶対とはいえないとなれば、こうした動きはますます進む可能性は大きい。

1月8日(火)  なんか語り始めるととまりませんな。前職について。
試験勉強中の教室で撮りました。リー君とアダチさんは来期韓国に帰ってしまうのです。クリックすると大きくなります。夜中にふと目が覚めてボーっとしている間に、ふと前職の仕事のことを考えていました。肉体的にも精神的にもとてもハードだったけれども自分なりに楽しんでいたんだなと思います。当時毎日のようにコスト計算を無意識にやっていました。

1日13万円前後の売り上げの店の月商は400万。このクラスの店舗なら何時から何時に約何人のどんな役割の人員が必要で、店長の入店時間を考慮にいれつつパートのみの労働時間は・・・8−13 9−14 9−14 17−21 18−23 = 5+5+5+4+5=24時間 店長の入店時間が11−23=12 自給は750円でスタートして平均自給800円。800×24=19200円 ということは人時売上高は3611円 人件費率は14.7% これに店長の休日、労働時間的なロスを考慮してパートのみの人件費は売り上げの約2割。地方の店舗なら駐車場をいくらか確保しつつ地代家賃は20万ほど。店舗を運営するのに掛かる最も大きな費用は原材料費を除くとこの人件費だから、利益をより多く得ようとすれば方法は2つ。費用を削減するか売り上げを上げるかだ。人件費とは平均時給×総労働時間から求められる。とはいえ時給は原則としてマンパワーに応じて支払われているものとすればその低下は効率の低下を意味するし、無理に総労働時間を削ることは商品の品質低下につながる恐れもあるし緊急の事態やチャンスに対して対応力が落ちる。費用を一定としながらその質を上げるためのパート教育を継続しつつ余分な費用である廃棄ロスを減少させることが費用に関しての主な対策。一方利益を確保するもう一つの柱である売り上げの上昇はすなわち一つの商品にかかるコストを下げることにつながる。つまり一つの店舗に対して毎日一定の人事シフトが組まれているならばかかる費用は一定である。その経費に対して生産が増えれば効率が上がることに等しい。一つの店舗が処理する能力を超える、すなわちキャパシティーを超えるようになった場合人員を増加させ、店舗のキャパシティーを拡大させるステップへ進む。しかしキャパシティーを得た後再び売り上げがそれに見合う水準に達しない場合パワーオーバーの状態となり店舗はそのコストを維持できない。それを防ぐためにその店舗および多店舗総合の季節指数を把握しながら売上の予測をすることは重要だ。この季節指数とはすなわち季節による売り上げの変動を年間の平均売上で割ったものである。つまり年間の平均売上よりもその月の売上が多ければその月の季節指数は100を越え、下回れば100より低くなる。これにより、ある月の月商が確定すれば翌月・翌翌月の月商も予測できる。経営者はこの予測値を参考にしながら適性なシフトを作成し無理・無駄のない体制を整えるべきである。規模の経済性が有効に働くパターンを発見し維持することが望ましい。忘れてはいけないのは、売上を上げることは目的ではなく、あくまでその手段であるということだ。規模に見合わない場合は縮小せざるを得ない。しかし、より大きな利益を目指すならば売上向上の策を練りながら規模を拡大させることが望ましい。季節指数や時間帯売上傾向は、その店舗のタイプによって異なる。たとえばビジネス立地、商業立地、ファミリー立地、学生立地などがそのタイプ分類としてあげられる。企業として、あるいは一商業体としてその最終的な目的は利益をつくることである。あるクラスの売上げの店舗が次のステップを目指す時、果たしてどうその過程をすすめるか。例えば月商400万円の店舗がさらに50万円の売上増加を目指す場合、112.5%の成長率である。月商50万円ということは一日に直せば約16600円となる。一日の営業時間が14時間の店舗だと仮定すれば一時間あたり1185円。平均売上高を800円とすれば一時間当たり1.48人の客数を新たに獲得することでこの目標は達成できる。あるいは平均売上高を先ほどの800円とすればこの店で一日の平均客数は162.5人である。仮にこの50%である81.25人が100円多く購入すれば単純に考えて8125円の売上上昇である。実例としてそれがジュース一本であれ、ライスの大盛りであれかまわない。そのために陳列に工夫を凝らしたり新規の顧客を常連客化する策を立てたり、店頭でのプラスワントークを実践するなどの工夫は経営者の腕の見せ所だ。先ほどの112.5%成長の目標はその数字だけみると途方も無い冒険に思えるかもしれないが、細分化してみればそれは小さな積み重ねであることが分かる。ただ売上を上げろというばかりではパート・アルバイトになすすべはない。自分達は店舗の中にいるのだから、外からやってくる客数が小さいことは自分達とは関係の無いことのように思ってしまうからだ。因果関係がつかめなくなる。だがそうではない。p/aの協力なしに目標の達成はありえない。ジュース一本のプラスワントークにしろ整然とした陳列にしろ、丁寧な商品の提供にしろ、ロスの低下、水光熱費の節約、スマイル¥0でさえ彼らの協力は欠かせない。経営者がいくら一人で売上アップを叫んだところで、それは机上の理論あるいは妄想でしかない。目標と目的、そしてその方法を簡単に分かりやすく、明確にしめして経営者のやりたいことを理解させてその協力者、実践者として引き込めるかどうかがポイントだ。それがジュース1本につながる。それはゲームである。その面白みを彼らが知っているかどうかで労働の質は全く違ってくるし、知らなければ、彼らにしてみても働くことがつまらない義務でしかない。どうすればもっと売れるかパート同士がジュース棚の陳列を試行錯誤しながら変えている姿を見れば、それはそれは感動してしまう。彼らの試みに経営者はその結果をデータとして提供してやれば、それはすなわちゲームのスコアだ。

今日赤峰路駅のすぐ横にオープンした焼肉屋です。一時的に売上を上げることは容易い。すぐに思いつくのはセールや割引券のばら撒きである。しかしその売上が一時的なものでしかないならば、経費の浪費にしかならないばかりか目的からはずれ逆効果にもなりかねない。難しいのは獲得した売上を維持することである。それがすなわちパート・アルバイトのレベルアップ、つまりは店舗のレベルアップである。目標が達成できたならそれに協力してくれた彼らに還元してやれるであろう。経営者と労働者は対立するものではなく協力者だとP/A、経営者双方が考えられる関係を作れるだろうか。

以前新聞のある特集記事でスターバックス・コーヒーのアルバイト採用に関する記事を読んだことがある。本部は1000円以上の時給でアルバイトを募集する。通常われわれが考えるよりもはるかに高い報酬だ。そしてそうやって採用されたアルバイトの中には自給にすれば社員よりも高い報酬を得るものもいるという実力社会だ。当然その募集には非常に大勢の応募者が殺到する。そこから選ばれる人材は必然的にレベルが高い。レベルの高い人材しか採用しないのだ。そして働いているアルバイトたちは自分達がサービスすることへのプロ意識を持っている。一人一人がなじみの客を持って自分の友人のように引き込んでいく。そうした「お客様」たちはなじみの店員のファンになって固定客かする。一杯のコーヒーを飲む場所、「カスタマーズ」はリラックスできる空間を求め、自分を満足させてくれる人とその空間を求めて、再びここへやってくる。本部にしてみれば、高い報酬を払ってもそれに見合うだけのメリットを手に入れられるのだ。

P/Aをやる気にさせるためにこんな方法はどうだろう?という給料体系もあるのだけれど、その話はまた明日にしよう。

なんかすごく長くなった。夕べふと目が覚めてこんなことを考え始めてしまったから、結局朝まで吉原くんに借りた「日本人と中国人」陳舜臣 を読んでそのまま今日から始まるテストに出掛けた。そう、今日からテストなのだ。

テストが終わってからヤマグチさんと菊ちゃんに偶然会って裏門のすぐ前にあるラーメン屋で昼ごはんを食べた。目玉焼きも載せてみた。全部で4元。

教室に帰って明日の聞力課の教科書を一通り眺めて部屋へ帰ってきた。それから日記を書き始めたのだけれど、これは日記っぽくないね。おいおい日記かい?

前職には98年に入社して2001年の9月に退社した。つまり3年半だ。特にその間の2年間、北陸の事務所で仕事をした経験は自分にとっていろんな意味で大きな財産になったと思う。大きな会社では分業されてなかなかさせてもらえない様ないろいろな仕事を経験できた。本部にそのままいたのではきっとこういう経験は出来なかったと思う。指導者にも恵まれたし環境も良かった。自分で考えてそれを現場で検証して、それに対してきちんと意見を返してもらえた。現場のアルバイト、特に自分が立ち上げた店の子たちは弟や妹のように可愛かったし自分の考え方に協力して実践してくれた。パートさんたちは自分の母親のような年代でも自分を慕ってくれたし面倒も見てくれた。事業部が持つ店舗の売上はPOSであがってくると一喜一憂したし、指導者は自分にそういう分析を任せてくれた。リーダークラスの資料を作るのにも手伝わせてもらえた。リーダーの考え方や発想にはいつも関心させられた。彼がこういう数字でこうやれば分析できるはずだと教えてくれれば、彼はパソコンをあまり使えなかったから、自分がそれを形にした。そういうのがいつも面白かったし作っているうちに知らず知らず(不知不覚)そういうノウハウを自分も吸収していた。生の経営学だと今考えてみるとそう思う。そういう分析をするには事業部は大きすぎず小さすぎず、ちょうど良かった。あまり大きければ上がってくる数字は現実味がもてなかったかも知れない。これは本部へ戻ってきたときに何千店もの資料を見たときの感想でもある。僕が扱っていた数字からはほとんどの店舗の姿や店長やそこで働いているアルバイトの顔さえも見えてきそうだった。(実際結構知っていた)興味というのは不思議なもので、自分の知らないところになると急に失われるものだ。知らない店舗の名前と売上を見ても「へー」としかなかなか思えない。また興味というのはたいしたものでやってみたいと思った資料作りもパソコンにかじりついて何日か事業部に泊まったりもした。用事が無くても会社が転勤のために用意してくれたマンションの部屋へ帰るのが面倒なときには近くのレンタル・ビデオ店で映画を借りてきて会社のソファーに寝転がって見ていたこともあった。そうやって仕事も充実していたしやって見たいことのリストもどんどん長くなったけれどもそれを試してみるには時間が24時間では足りなかった。自分なりの貢献は出来たと思う。それまでとにかく手作業だった直営店の月次資料や給与計算や売上の累積分析は機械化させた。大学時代に使っていたexcelが妙に役に立った。最初はどうもなじんでくれなかった店長達も便利さを分かって使ってくれるようになったし、最初はずいぶん毎回尋ねられたがそれも減ってきた。機械を使うようになってそれまで数字を出すためだけに使っていた時間がずいぶん減らせた。経営者の仕事は数字を出すことではなくそれを分析することに集中するべきだと思う。仕事は自分で見つけたというよりも、状況がどんどん新しい仕事を生んでいった。ポスターやPOPもずいぶん作った。これも収穫だ。最初はずいぶんセンスが悪いとけなされたけれど、帰るころにはみんなが欲しいものをすぐにびっくり綺麗に作れるようになった。立地調査は面白かった。建設予定地を地図を頼りにめぐっていき、交通量、人口統計、立地条件などを足を使って調べてレポートにまとめる。地方事業部の新店出店に関しては現地の事業部に任されていた。本部にはそれ専門の部署があるから他の部署ならばまず手を出せない仕事だ。これがまた面白かった。自分の書いたレポートが思いがけないところから本部に流れていて、それが逆輸入されて来たこともあって驚いた。もう一つあちこち動き回ったから車の運転がずいぶん上手くなった。学生時代に始まったばかりのオートマ限定免許をとってずいぶん変わり者呼ばわりされたけれども、雪国でオートマ解除を受けなおしてスノータイヤを履いたスピーカー付きの営業車でドリフトもスイスイだ。

それにしても得意分野というのはそれぞれあるもので、ある店長はP/Aの扱いが非常に上手かったし、ある人は月末月初の処理をさせたらなぜこんなに手際が良いのかと思うくらいだった。社長が北陸の事務所へ来たときの勉強会で自分に尋ねた問いを今でも覚えている。「君はどうして北陸に来たのだとおもう?君の仕事の目的は?」と。確かそのとき、さまざまな経験をして見につけることだと思うと答えた。でもこれは目的ではなかった。私、つまり営利を目的とした会社という団体の社員が働く目的とは、ずばり(利益)を上げることである。これを聞いて以来目的と手段という言葉の違いを意識しながら物事を考えるようになった。目的意識とそれを達成するための手段についてだ。これは生活に関しても言えることだ。自分の一生を通しての目的はなんだろうと。自分なりにその目的はおぼろげながら分かっているつもりだ。その手段として今自分は勉強をしている。

1月7日(月)  うれしい一日
今日も韓家でご飯です。この写真はそのときに撮ったもの。背景はもと老年大学です。中国の大学には大抵老年大学というのがあって、文字通りおじいさん達が踊りや歌やちょっとした学問、電脳などを習ったりしています。文化センターみたいなもののようです。大学がその役割を引き受けている当たりさすが。社会福祉がこういう形で行われています。
というわけでこの残骸。ここにかつて写真集でも紹介した老年大学の財大中山北一路校で唯一ふるい建物が建っていたのですが、取り壊されてしまいました。

 さて、明日から期末テストです。テスト前日には勉強しない主義(?)というのもあるけれど、今日は珍しくすごく天気が良くて久しぶりにポカポカと日差しが気持ちいい一日です。洗濯物もよく乾きます。学校の中心にある広い芝生の小高くなったところに腰を下ろしてぐっすり眠りました。風がポールの中国国旗を揺らす午後です。

 もう一つうれしいことが朝からありました。朝ごはんにと思って大学の裏に肉まんを買いに出掛けたら靴屋が閉店セールをしていました。なんと168元でスタイルもまずまずの革靴(?)が76元、それにまた×印が付いて58元! さらに30元になっていたので思わず朝から衝動買いしました。日本から履いてきたスニーカーには穴が開きかけていたので早速愛用しています。

1月6日(日)  たくさんメールをいただいてうれしいです。
 胡弓の練習の日です。留学生楼の会議室の場所が今回から変わっていたので、いつもに比べて回りにちょっと迷惑かけたかもしれません。会議室の周りの部屋はすぐ学生の部屋ですから。日曜の朝9時ごろだとやっぱり寝てますよね。

 外大の食堂で思いっきり午睡してました。今日は単科考試の合格証明を渡す日らしく、食堂は日本語や英語の試験(英検のようなもの)の合格証明書をもらうために集まった人で一杯でした。

 久しぶりにこの日記をつけ始めた5月のころのを眺めていました。誤字脱字が非常に多いですね。基本的に前に書いたものには手をつけないことにしているのだけれど、目に余るかも。

 最近このホームページを見てくれている人たちからよくメールをいただきます。とてもうれしいことです。中には来期上海財経大学へ留学してくる人たちもいます。彼らに僕が書いている経験が役に立ってくれるのはすごくうれしいことです。
 このホームページに書いていることは、自分自身の経験の記録でもあるしそれがこれから僕と同じように中国に来ようとする人たちの不安を少しでも取り除いて、充実した生活をおくる手助けになってくれることを祈っています。

1月5日(土)  昼から韓家
 昼から韓家でビビンバを食べました。おなじみ鉄のお椀にごはん山盛りです。ここに来ると本格的な韓国料理が食べられます。夜になっても腹一杯です。


1月4日(金) / 公安へ行ってきました。
何かぱくついているのがキムです。とっても性格の良い韓国人の女の子です。タムラくんと食堂でごはんを食べていたら電話が掛かってきて、今日急遽ヤマグチさんの引越しが決まったというので手伝いに行きました。彼女は前二人部屋に住んでいたのだけれど、今回学期の末で出て行く人がいて一人部屋が空いたので引越しが決まったようです。
 手伝った後にヤマグチさんと一緒に公安へ行ってきました。というのも来週日本に帰って、再入国するためにビザがいるからです。リターンビザといって取るのは簡単なんだけれど1週間くらい時間がかかって、(実際は5日間らしいです)僕が帰国するのが来週の12日なので結構ぎりぎりです。
 というわけで、またジャラフの近くにある100番のバスで行ってきました。20分くらいです。
 さて、今日はA4班とB班の先生を囲んで寮の一階にある飯館でお疲れ様パーティーです。

帽子が変です。
ここから李君の日記です。彼が話しているのを翻訳しました。

「今日はちょっと疲れました。なぜなら、今日は私も公安へ行ってたからです。といのもビザの延長のためです。吉原くんと一緒に行きました。だからちょっとうれしいのです。ちょっと心配なのは京子さんは昨日たくさんお酒を飲んだから休んでいて、それがちょっと心配です。コウイチさんもちょっと病気しているようで心配です。後天我希望成功。今日夜6時から私達のクラスのみんなでパーティーがあります。コウイチさんは参加できないようです。今日以降明日からばっちり試験の準備をしましょう・・・?真的馬?」

1月3日(木)  ハロー。コウタロウ
 親子3人、カメラの前に姿を見せてくれました。 今日は妻の友達が赤ちゃんを連れて家に遊びにくるというので、ネットミーティングしました。調子が悪くてこちらのマイクとカメラが使えなかったのでチャットでしたが、向こうから来た映像はよく見えました。これがそのときの映像。コウタロウ君、現在6000グラム。生まれたときのすでに倍の体重です。
 以前僕がコウタロウ君のために買った小さなカンフースーツと金刺繍の前掛けをつけて見せてくれました。


1月1日(火)  新年快楽!紅包拿来!
 お正月は久しぶりに昼まで眠ってました。寝正月です。残念ながら初夢は覚えてませんでした。2度寝したから忘れてしまったのかもしれない。
 正月といっても暇なので外大に行って自習してました。
 夕方から井上さんの家にオガタさんとリーとヨシハラくんの5人で日本食(?)の出前を注文して食べました。正月から東京ラブストーリーの鑑賞会になりました。平成2年の作品らしいです。もう11年も前のドラマなのですね。



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